『キャロル』と『美しいとき』に見た女性の強さ

ちょうど同じ時期に見た『キャロル』と、『美しいとき』。

『キャロル』は11日に公開されたばかり。
ケイト・ブランシェットとルーニー・マーラの恋物語。

『美しいとき』はmyFrenchFilmFestivalにて。
セシル・ド・フランスと、イジア・イジュラン(『サンバ』でセザール賞助演女優賞ノミネート)の恋物語。

前者は1950年代、後者は1970年代、とやや時代背景は異なるけど、
まだ同性同士の恋愛が認められずに異様な目で見られ、拒否される時代。
どちらの作品も「単なる女性同士の恋愛」とだけ括るのは憚られる気がする。

女は子供を産んで家庭にいて夫を支えるものだ、と
今ですらもう即批判対象となる意見が普通だった時代。

『キャロル』は、ため息が止まらないくらい、美しい。
ランチのメニューも決められない、何にでも「イエス」としか言わない、
いわゆる敷かれたレールの上を歩いていたテレーズ(ルーニー・マーラ)が
キャロル(ケイト・ブランシェット)と出会い、変わっていく。

『美しいとき』は『キャロル』に比べると随分と生々しい。
というよりも、主役二人が近所の銭湯にいそうな体型だからか。(特にイジアちゃん)
あのセルライトの感じとか、デカパンツとか。
農場プレイが好きな(?)カトリーヌ・コルシニ節がよく出ている作品。
田舎からパリに出てきたデルフィーヌ(イジア・イジュラン)。
パリジェンヌのキャロル(セシル・ド・フランス)に恋をし関係を持つが
父親が倒れ田舎に帰ることに。
デルフィーヌと離れたくないキャロルは、一緒に田舎暮らしを始める。

どちらの作品も、恋された方が、先に恋した方よりも相手にのめり込んでいく過程がおもしろかった。
セシルちゃんは、やっぱりクラピッシュ作品の影響からか、
どうしても男役に見えてしまうんだけれども…

で、先にも言ったけれど、両作品とも、ただの女性同士の恋愛を延々と描いているだけではなく
「女性はこうあるべき」という保守的な時代を強く批判し、
女性が本来持つ強さや逞しさ、そして女性の儚さや脆さも見事なまでに描いているのです。
普遍的な「女性」という存在を、尊重しているのです。
どちらも同時期に見たこともあり、女性であることを誇りに思えたし、感動レベルもぐんとあがったように思います。

『キャロル』はファッション(特にルーニー・マーラ)や映像(今日日、TOHOのスクリーンで16ミリの映像が見られるのはうれしい)にも釘付け。
前髪伸ばそうと思ったけど、やっぱりやめたー。