セルジュ・ゲンスブール特集『スタン・ザ・フラッシャー』

日仏のゲンスブール映画特集、あっという間に終わってしまった。。。
全作品鑑賞済だからまあいいかーと思っていたけど
初見から10年以上経った今改めて観ると全然違った印象を覚え…
特集コンプリートしたかったぜ!うおおお!

そんなわけでちょっとずつ振り返る。

『スタン・ザ・フラッシャー』
Stan the Flasher

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売れないシナリオ作家のスタンは、うだつのあがらない中年男。生活のため英語の家庭教師をしている彼の唯一の楽しみは、教え子のナスターシャたちに裸体を見せつけるという妄想(露出狂=フラッシャー)にふける事。ある日、スタンはとうとうナスターシャに触れてしまい、刑務所へと送られてしまうが…。
ゲンスブールが手術後、一週間で書き上げた脚本を自身が映画化。死の前年に公開された最後の映画作品となった。


スタンを演じるクロード・ベリは映画監督(『愛と宿命の泉』『老人と子供』etc)・脚本家・プロデューサー(『テス』『愛人/ラマン』『ぼくの妻はシャルロット・ゲンズブール』etc)とマルチにこなす天才。
脳梗塞により2009年1月12日、74歳でこの世を去りました。

この作品を最初に観たのは10代の頃だったか…

あれからゲンスブールについても多少は詳しくはなったし
クロード・ベリが関わった作品もたくさん観てきた。
初見の頃に比べると、だいぶ観方も感じ方も違った。

あの頃は、セルジュ自らの「obsession」を描いている、と言われることに疑問を抱いていた自分だけど、今なら納得できる。
(ここでいう「obsession」は、日本語に訳すと「妄想」というよりは「強迫観念」と言ったほうがよりリアリティがあるかも。)
あの頃は、気持ちが悪くて「お願いだから消えて~」(ザ・パンチ)としか思えなかったのに
成熟した夫婦間の腐敗した愛(と言うよりもう無関心)と、少女の穢れなき瑞々しさに対する愛情、
対比した二つの愛をセルジュはどう見てきたんだろう、と考えるようになった。

ピエール・テラソン氏の講演会の内容も合わせて振り返ると
最期を迎える覚悟、自暴自棄になり無駄に誇示顕示する姿なんかは
セルジュ自身をベリに重ねて制作していたのではないかと思え
不器用さが滲み出てきていて・・・
コートを羽のようにバッサバサさせながら階段を全裸で上っていくベリを見て、
嗚呼、これはセルジュが残した芸術作品!なんてピュアな作品なんだろう!
と、感動すら覚えてしまったのよ。

なーんて言いつつ、レトロな映像にちょっと恥ずかしくもなり
結局レーザーディスクのカラオケ映像を連想してしまった自分。

か  な  し  い  ね

ビデオもDVDもamazonでヒットしなかった。
VHS上映(+日本語字幕つき)だったけど、スクリーンであの蒼く不穏な映像を観れたのは貴重だったのな。

Integrale 20ieme Anni.

セルジュ・ゲンスブール写真集 馬鹿者のためのレクイエム (P‐Vine BOOKs)


Flasher=Flash使いこなす人 っていう単語が世に定着しちゃっていて
求人広告で「フラッシャー募集」なんて文字を見ると
あーた、露出狂募集してどうするんですか、と突っ込みたくなるのな。