セシル・ド・フランスちゃん目当てでイーストウッドの『ヒア・アフター』鑑賞。
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サンフランシスコに住む元霊能者で肉体労働者のジョージ、臨死体験をしたパリ在住のジャーナリスト・マリー、兄を亡くしたロンドン在住の小学生マーカスの3人が、互いの問いかけに導かれるようにめぐり会い、生きる喜びを見出していく姿を描く。
しかも二回も鑑賞してしまいました。
と、言うのも、最初に観たときにちょーーーっと腑に落ちなくて。
いろんな人のブログやらなんやら拝読したのです。
するとどうだ、あまりに自分の解釈が浅かったことに気づく。
それで思いもよらず二回も映画館に足を運ぶことになったわけです。
以下、ネタバレ含むので未だ観てない方はスルーしてください…
そもそも、イーストウッドとスピルバーグが組んでおいて
最初の津波シーンに全てを費やして、後は「死後の世界」的なー、
なんてことはないだろうし。
でも暖簾に腕押しどころか猛進しちゃったような。手ごたえを感じなかったの。
テーマが繊細すぎるんだろうけど…
濃厚とんこつラーメン食べに行ったのになぜかあっさり素麺食べちゃった、みたいな。
あまりネットでも評判良くないし、こんなもんなのかなーって納得しかけたところで、この方の記事を読んだ。
『ヒア アフター』って、こういうこと?
http://tcinemaholict.seesaa.net/article/188302857.html
あらー!大衝撃。
なるほどこういう見方があったのか。
自分のバカバカ!ノータリンめ!
マリーが双子って仰るのは二回観てもまだ疑問だけど
(ブックフェアでの握手シーンを見て、マリーは津波で一度死んでいて、大切な自分自身を“喪失”したものかと・・・)
観る角度を変えただけで、こんなにも満たされるのね。
鑑賞後の充実感が全然違った。
ラストシーンは完全にただの妄想だと思ってたけど、
あのシーンの重要性を理解できてよかった。
だから「Hello」の握手は平気だったんだね。
あと個人的に何か発見を、とも思い…
パリのレストラン、ロンドンの薬屋とメトロの駅、ジョージのアパルトマン…
って、何かと道の「角」にある建物ばかりなのよね。
大切なものを“喪失”した三人は、里親の家だったりTV局だったりと「中央」にある世界には入り込めない。
ジョージは積極的に(無理やり?)料理教室のような「中央」に入り込もうとしているんだけど。
それが、“再生”へと向かうにつれてメイフェアホテルだったりと道の「中央」にある建物が多くなる。
三人が出会うブックフェア、ラストのカフェは道の中央ド真ん中。
こういうことも“喪失から再生へ”ということを描いている一つなのかなー
…と思っても完全な結論に至ってないんですけどね。
しかしなー、ツイッターやブログで一回観ただけで感想書ける人ってすごく尊敬します。
映画って奥が深い!と改めて思うも、これが好きな映画かと問われたら…違うんですけどね。