濱田高志さんの講演会「追悼・ミシェル・ルグラン【ミシェル・ルグランの軌跡】」を拝聴しに、神保町のESPACE BIBLIO(エスパス・ビブリオ)へ行ってきました。
濱田高志さんは、日本で一番ルグランと親しく、そして日本で(いや世界でも)一番ルグランのことを知っているお方だと思う。
人生の半分、25年間もルグランと一緒にいた濱田さん、訃報を聞き二日間寝込んだのだとか。
今回の講演会は、普通の「ルグラン講座」として亡くなる前に開催が決定していたのだけれども、残念なことに追悼特集になったのだそうで…
ルグランは10年前頃から闘病生活を続けていて、去年の夏の来日公演の3週間前に10日間意識をなくしていたらしいです。
濱田さんも「来ないで欲しい」と懇願していたのだけど、日本びいきなルグランは来てくれたのです。。
ルグランは過去のことを聞かれるのが好きではないらしい。
シェルブールやロシュフォールなど昔の音楽の話をされるよりは今作っている音楽のことを聞いてほしい人。
濱田さんは去年のルグラン来日時に「正直ラ・ラ・ランドってどう思ってるの!?」って聞いたらしいです。
(答えは墓場まで持って行かれるそうで聞けませんでしたが)
ルグランはToDoリストを作っていましたが、ご自身で今後はそんなに長くないことを悟ってらしたのでしょうか…「これはやりたいけど無理だろう」「これも無理だろう」とふるいにかけていたそうで
その中でも「これだけはどうしても」という仕事を挙げていたそうです。
ひとつは、20枚入りのBOXセット。
ルグランは過去のことを振り返るのが嫌いだ、と仰っていましたが
「過去の音楽を入れたCDを発売するために、またもう一度過去の音楽を聴かなければいけない。
残された時間は限られているのに…無駄な時間だ」と。
以前にBOXセットを作ったときは「もう二度とやりたくない」と断言されていたようなのです。
これは昨年11月に叶いました。
もうひとつは、「ロバと王女」の舞台版。
昨年の大晦日に、パリのマリニー劇場に観に行ったのですが、このときはルグランの最後の仕事だとは思いもしませんでした。
自伝の出版も強く希望されていたようなのですが、こちらも発売は決まっているそうです!
今まで「なんか死んだ人みたいだから」という理由で年表をつけていなかったのですが、今回はつきます…複雑ですが。
1971年、ヤマハWorld Popular Song Festivalでルグラン(当時39歳)が日本で初めて指揮をとった「ロバと王女」のオープニング曲の音源に始まり、
ルグランのパリ郊外のご自宅は、敷地内に川と森があってカートで移動するようなくらい広かった、とか
親交の深かった村井邦彦さんのご自宅でピアノをひくルグランの姿(プラス、それをガラケーで撮るおとなたち笑)とか
ロシュフォールの制作風景とか
ドラムの村上 “ポンタ” 秀一さんを怒るお姿とか
コンサートのリハーサル風景とか…
貴重な映像と音源を拝見することができて、とても贅沢で豊潤な時間でございました。
今年またルグラン講座があるそうなので、次回もぜひ参加したいと思います!
そういえば矢田部さんも一般人に混じって同じ会場にいらっしゃいました。
好印象しかない…