アンナ・カリーナ トークショー@アニエス・ベー銀座

アンナ・カリーナ来日日記。

月曜日はALでトークショーでした。


こちらの様子はまた後日…
この記事の追記で土曜日のアニエス・ベーでのトークショーの様子を。


エレベーターからアンナ登場。

もともと細いのですが、だいぶお痩せになられたような…

会場には2007年にアニエス・ベーから発売されたアンナ・カリーナコレクションのRobeを着た女性がたくさん。
(私もその一人)
それについてアンナは
「Extraordinaire!」(素晴らしいわ!)
とひとこと。

最初の質問はアンナ・カリーナのパーソナリティについて。

子供のころはコペンハーゲンに住んでいて
いつも踊ったり歌ったりしてとても明るい女の子でした。
でも…とても悲しかった思い出もあります…

【そこは深掘りして話さず】

(ゴダールに見つけてもらった)CMのお仕事をしていた当時は、わけがわからないまま仕事をしていました。
小さい頃から女優のお仕事に憧れはあったのだけれども、まさか映画に出演するなんて想像もしてなかったです。

【「憧れていた女優さんはいらっしゃいましたか?」の問いにはすかさず】

みなさん尊敬していました!

【雑誌「ELLE」の撮影中にココ・シャネルがアンナのことを見つけて、名付け親になった、というエピソードについて】

あのときのことは今でもはっきりと覚えています。

パリのドゥマゴでELLEのカトリーヌ・アルレ(Catherine Harlé)に「あなたかわいいわね!写真撮らない?」と声をかけられました。
私は祖父に小さい頃から「知らない人についていったらダメだよ」と言われていたので、
「写真って、どんな写真なんですか?」と聞きました。
私は「写真を撮るならたくさんの人と来てください!」と言ったんです。
そしたら彼女は15人くらい引き連れてきて。
でも「雑誌が発売されるまでギャラは払えない」ということだったので、その場でもらえたのは撮影した写真でした。
「この写真を持っていろんなところに会いに行くといいわ!」と、様々な連絡先も一緒に。
そこにELLEの連絡先もあったのがELLEに行くようになったきっかけです。
【カトリーヌ・アルレさんはELLEでなく「Jours de France」という雑誌の人らしいです】

当時のELLEの編集長には「あなた、髪が黒過ぎるわ!」「もっと髪を短くしたほうがいいわね!」と色々言われました。
まだ私は17歳半でフランス語もあまり話せなかった頃、メイクをしているときに、大きい帽子を被った女性が現れました。
「あなた、女優さんになりたいんですって?フランス語を勉強しないとダメよ。あなた、名前は?」
「Hanne Karen Blarke Bayer」と答えると
「その名前じゃ、芸名では通用しないわ」と言われました。

「うーん、そうね、アンナ・カリーナ!これがあなたの芸名よ!」
と言われました。

C’était… Coco Chanel!

それが、ここシャネルだったのです。
とても素敵な贈り物でした。
人生の宝物です。

私、Karinaのイニシャル「K」にはちょっとこだわりがあって…
「K」って日本語っぽいでしょ(笑)

【パリという街を選んだ理由について】

ファッションの街だから、とかでは全然なくて…

小さい頃からフランス、パリが大好きで。
古いシャンソンも大好きでした。
学校の図書館でフランスの歴史の本とにかく読んだりしていて、本当にフランスのことが好きだったの。
それが、パリに出てきたひとつめの理由。

二つめは…
二人目の義父が、とっても意地悪で私のことをいじめていたから…
私も彼のことが苦手で、すごくつらかった。
だから飛び出したんです。

【つづいて映画のエピソードなどなど…】

思い入れのある作品は『気狂いピエロ』ですね。

ゴダールと一緒に作った最初の作品『小さな兵隊』はとてもダークで、アルジェリア独立戦争に言及していたので当時は上映禁止になってしまいました。
そのときに『Ce soir ou jamais』【1961年のミシェル・ドヴィル監督作品。】という映画に端役で出ることになったんですが、突然主役予定だった人が降板してしまって。
歌ったり踊ったりして楽しくて…かなりいい役に巡りあえたんです。

子供の頃から歌うことも踊ることも好きだったので、そこにつながっているのだと思います。
執筆するのも好きで本も何冊か出しています。
最近はPhilippe Evenoの音楽でアンデルセン原作の「Le vilain petit canard」(みにくいアヒルの子)をカトリーヌと一緒に作ったりしました。

あれ…私何を言おうとしたんだっけ…飛行機に乗って日本に来たばかりだから…
ああ、そうだ思い出した!

【こういうのかわいい】

『Vivre ensemble』は、監督もして脚本も書いて出資もした作品です。
あと、「Une Histoire d’Amour」というCDをカトリーヌと作ったときに日本にもコンサートで来たんです。
大きな会場で、舞台裏からカトリーヌが客席を見て「『気狂いピエロ』の衣装着た子がたくさんいるよ!」って言ってたの。
それはとっても感動的だったんだけども、コンサートが始まると物音ひとつ立てないんですよ…
「え、みんな私のこと嫌いなのかしら…」って不安になったけど、コンサートが終わったとたんに大喝采を受けたんです。
日本のみなさんは音を立てずに、音楽を尊重しながら集中して聴いてくださるんだな、ってそのとき始めて思いました。
フランスではそういうのは一切ないので!(笑)

今年「Je suis une aventurière」というCDも出しました。
夫のDennis Berryが作った曲もあるし、ゴダールとミシェル・ルグランの「La Chanson D’Angela」も歌っています。
【「好きなアーティストは?」の問いに】

小さい頃はルイ・アームストロングに恋していたの♡
「サッチモと結婚するのが夢!」とおじいちゃんに話したら
「サッチモは大人の人だから、子供は相手にしないよ」と言われたけど
「それでもサッチモと結婚するの!でもダメだったら、そのときはおじいちゃんと結婚してあげるね♡」て言ったわ…

【かわいすぎて悶絶】

今までの人生は、ありがたいことにいつも私を選んでいただけていました。
自分から「この役をください!」と言ったことは一度もないんです。
選ばれるということは、愛されるということ。
だから全力で演じることができる。
私はすごく幸せです。

【「人生において一番大切なこと」を聞かれると、目を大きく開いて】

長い人生を振り返っても、贈り物だらけでした。
お金も全然ないままパリに行ってから、写真のお仕事も映画のお仕事もさせてもらいました。
たくさんの素敵な人とお仕事をさせていただきました。
すべて素敵な贈り物だと思います。

『気狂いピエロ』『女と男のいる舗道』『はなればなれに』の3作品を、「一番好きな作品」と挙げてくれる人は多いけど…
私自身がどの作品が一番、なんて決められない。不可能です。
どれも大切な贈り物ですから。

そして・・・
Joyeux anniversaire, Anna!

この日はアンナの78歳のお誕生日!

最後は、アニエスベーのバッグ購入者全員(推定150人くらい)にサイン会。

お疲れのようでしたが、笑顔がかわいいアンナでした♡