ようやく日本語版で見ることができた『たかが世界の終わり』。
ヴァンサンの喧しさが霞むくらい、マリコさまに見惚れたわー。
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フランスで見たときの記事はこちら
⇒【France2016】グザヴィエ・ドラン新作『Juste La Fin Du Monde』(まさに世界の終わり)をフランスで
このときの邦題は「“まさに”世界の終わり」だったけど、「“たかが”世界の終わり」になってた。
Juste la fin du monde だから“まさに”のほうが直訳そのまんまでいいんじゃないかなーと思ったけれども、公式サイトの「愛が終わることに比べたら、たかが世界の終わりなんて」って日本語になんだかきゅんとしてしまった。
なるほど、そのフレーズをコピーにすればこの邦題は近年稀に見る素晴らしさだー。
日本語で(&あらすじも知ったうえで)再鑑賞してみて、改めてドランの描く家族観に感動しました。
同じ家族なのに、家族を俯瞰視するルイ(ギャスパー)。
妹のシュザンヌ(レアちゃん)にとって、ルイは兄というよりは他人。有名人。雑誌のインタビュー記事でしかルイを知らない。
ルイも同じく。彼にとってこの家族は他人。よその知らない家に迷い込んだようだ。
頼ったり縋ったりする存在がなく、安らげる場が1ミリもない。
行って見たい場所に「昔住んでいた家」を言っても全否定。
美しい思い出も否定されたかのような落胆を隠せないルイ。
12年間の“不在”は、単なる疎外感だけでなく、家族という普遍的な関係をも壊してしまったのでしょう。
一度作品を見ていただけに、顔のアップ&台詞だけに集中しないで他のドラン作品との共通項を探してみた。
父親の“不在”。
母と息子の関係と対比して、家族の誰も語ろうとしない父親の存在。(マリコが名前のことで話題には出していたけれど)
父親の存在はまるでこの世になかったかのよう。
Camilleの「Home is where it hurt」から始まり、Mobyの「Natural Blues」のエンディングまで、台詞で消化しきれなかったことを歌詞にしたような選曲も素晴らしかったなー。
まさかのノマノマイエイ(「恋のマイアヒ」っていうのか)が出てきたけど、あれはルーマニア語?なので歌詞というよりはあのシーンのごきげんな感じを演出したかったんだろうな。
(鼻つまむレアちゃんもマリコもかわいい)
血のつながった家族に愛を感じなくなったら。
家に居場所がなくなったら。
考えただけで怖い。
「愛が終わることに比べたら、たかが世界の終わりなんて」
て、つまりは、そういうことだよね。
やっぱりこの邦題に変えた人に、盛大な拍手を送りたい。
ストーリー的には13時から16時、たかだか3時間の出来事を描いているだけなのに、12年の空白と、旅立ちのときをひとりで迎える結末を予測する余韻がたまらん。
作品が素晴らしいのはもちろん、毎週劇場の特典が違うので、リピートしちゃうわよね…
(ドランのサインつきポラロイド のような紙 をもらいました)
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そうそう、マリ子様主演作(ギヨーム・カネ監督)「ROCK’N ROLL」が先週からフランスで公開されましたね!
すげーB級っぽいポスター。
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