フレンチ・フィーメイル・ニューウェーブ 『グッバイ・ファーストラブ』Un amour de jeunesse

フランス人女性監督作品特集・フレンチ・フィーメール・ニューウェーヴ、絶賛上映中!

既に見た作品ばっかりなんだけど、前売り券買ったので今回再鑑賞。
で、まとめて見て思ったのは、
「女性って本当に複雑な生き物」。

毎月毎月生理前後で気分は変化するし。
そのうえ妊娠・出産と言うメンタル的にも身体的にも起伏が一番激しい、
偉大な経験をした監督たちが撮る作品は
複雑な女性の心理を、醜い側面も可愛らしい側面も理解した上で巧いこと描いていて、
どの側面も共感出来るものがあるのね。

だからかもしれないけど、女性監督が撮ったこの作品たちは、
観る時期によっていろんな捉え方ができるように思えた。
日本語字幕つきだったからかもしれないけど、どれも最初見た時よりだいぶ違った印象を受けたなー。

まずは一本目。ミア・ハンセン=ラブの『グッバイ・ファーストラブ』。

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デフォルトで悲しい顔したローラ・クレトンちゃん。
だから悲しみを内に秘めて秘めて秘めて…という感じが醸し出されててすごくいい。
アサイヤス『5月の後』でも好演でしたが、男に振り回される役がよく似合う。

「男は“名前をつけて保存”、女は“上書き保存”」なんて言いますけど
(まあ時に女は保存せずにゴミ箱行き、てこともありますが)
これは完全に逆。主人公カミーユは初恋のシュリバンを引きずって生きていく。

何よりも目の前のやりたいことを優先させて行くシュリバン。
初見では、それはそれはまあ身勝手な経済力もない男、忘れちまえ!と、
もどかしく感じることが大半だったけど
今回は「それでも」好きでいるカミーユに共感できた。
自身の経験をもとにした作品、ということで
あのパッと見ビンボー臭い、ガリガリ年上建築家がアサイヤスか?
という邪念が初見のときに完全に支配してしまったんだけど、
今回はその邪念を捨てて見られたからかな。

「ハイヒールを履いている女性が撮れない」とミアちゃんが言ってたとおり
ショートカットにして、新しい環境に適応しようとしていくときよりも
裸足で駆け回ったり、泳いだりしている自然体なカミーユを
よりストレートに受け入れることが出来たからかもしれない。
猫ちゃん歩きで近寄るシーンは、やっぱり不自然に思えたけど…
(あ、あれですよね、男性はあれにグッと来るんですよね、、、)

『あの夏の子供たち』が「Que sera sera」の歌で終わったのは度肝抜かれたけど、今回は「The Water」。
新しい彼と一緒のバカンスでも、初恋の彼と同じ場所に行き
元カレのプレゼントを未だに大切にしていた。
そのプレゼントが風に吹かれ川に流される。
悩んで、苦しんで、自らの命を絶とうとして…幼くとも激しい愛に生きたとき。
そんな時代も、川のように流れて行くのよ~的な、
あくまで長い人生の過程にしか過ぎないという、潔い終わり方が実に清々しく。

個人的には、カミーユの母親が好きでした。
いつの間にか不在になった父、そして「なーんにもしない休日」を満喫する母親。
愛に生きる娘と真逆の、その無気力な感じが素敵。
(と共感している時点で、自分はカミーユよりむしろ母親よりなのかも!?やばいね…)

最近だと『世界にひとつのプレイブック』が完全に男目線な感じがして、男ってなんて身勝手なの!ってなぜか腹立ったんだけど
多分もっと女目線で描かれてたら違うのかなー、と、ふと思った。