『バルバラ セーヌの黒いバラ』 Barbara

長い長い改装期間が終わったBunkamuraのル・シネマで、マチュー・アマルリック監督作品『バルバラ セーヌの黒いバラ』を鑑賞。

うまいこと咀嚼できず、時間だけが経ってしまいました…

マチュー、難しいよ…
仕事帰りのへとへとな状態での鑑賞には難易度レベルがちょっと高かった…
(5月に飛行機で観たけどやっぱり理解できなかった)

ただの伝記映画と思ったら大間違いでした。

あらすじ
フランス、パリ。撮影スタジオでは、フランスを代表する国民的シャンソン歌手バルバラを描く映画の撮影準備に入っていた。主演はブリジット(ジャンヌ・バリバール)。監督はイヴ(マチュー・アマルリック)。ブリジットは役作りのために撮影期間中に用意された住まいにグランドピアノを準備し、その部屋はさながら映画のセットと同じようだ。スタッフから「脚本は日々変わる」と言われると、彼女はこう返すのだった、「わたしも変わる」と。
ブリジットは憑かれたように、バルバラの仕草や表情をまねる。わずかな口角のあげ方、手先の動き、もちろんその特徴のある歌声。やがて、誰も演じえないと言われていた伝説の歌手が、カメラの前に姿を現すのだった。
公式ホームページより

ジャンヌが熱演しているが、その役がブリジットなのか、ブリジットが演じるバルバラなのか、果たしてバルバラ本人なのか…
その境界線がわからずに脳内が混沌としたまま淡々と展開していく。


一方、イヴはバルバラが歌ったキャバレーや劇場での証言を集め、彼女の人生に足を踏み入れていく。少年のころに出会った彼女の曲に救われた経験のあるイヴは、映画監督という立場を超えて、ブリジット演じるバルバラに憑りつかれていき、自分を見失っていくのだった。
そしてイヴ以上に、ブリジットはバルバラと化していく。自分の人生を歩んでいるのか、あるいはバルバラの人生を歩んでいるのか。撮影されている映画は、バルバラを描いているのか、あるいは別の誰かの人生なのか。さらにはスクリーンのこちら側にいるわたしたち観客すらも、その境界線に惑わされ、バルバラなのか、ブリジットなのか、もはや曖昧になったふたりの人生の輪郭を追体験することになる。  

その生涯はツアーの連続で、自分の家をもたなかったバルバラは、映画の最後にこう語る。 「ステージは、わたしの船」と――。 愛を求め、しかしその愛に苦しんだ永遠の旅人、バルバラ。彼女の名曲は永遠に色褪せることはなく、今日もどこかで耳にする。バーのカウンターで泣く男の耳元にも、それは届くのだった―。
→公式ホームページより http://barbara-movie.com/about.php

あの混乱は故意に、というのはわかります。
ゴダール映画よりは複雑ではないのだけれども、あっけにとられているうちに終わってしまった感。

せめてあらすじだけでも3回くらい読んでから行けばよかった。
そして私がバルバラについて不勉強だった。

とは言えですね。
大好きなマチューをスクリーンで観られることは眼福でしかないし、ジャンヌの熱演には圧倒されるし、ただ自分の勉強不足を嘆くしかないのです。

そして僕は恋をする・・・な絵。ずるい。
しかし離婚してもなおこうして共演できるのはさすがだな。


Copyright Waiting For Cinéma 2017 / Roger Arpajou

錯乱した脳内を整理すべく、バルバラを聴きながらパンフレットを読む。

なるほどバルバラにはこんな過去が…!
フランスでのバルバラの存在って…!
あの歌詞に込められた意味…!

だいぶ知識を得たところで、もう一回ちゃんと観ないとなーと思っております。



バルバラ セーヌの黒いバラ