今月2日で終わってしまった新宿K’s cinemaの「それぞれのヌーヴェルヴァーグ ゴダールとトリュフォー監督特集」。
ふたりのヌーヴェル・ヴァーグは試写も含めて3回も観てしまったけど、上映時間がサラリーマンには若干厳し目だったので、特集上映は『女と男のいる舗道』『恋のエチュード』しか観れなかったー…
DVD持っていても意地でも劇場で観る派としては不覚でした。
最終日前日に滑り込みセーフで観た『恋のエチュード』の感想をばー。
フランス青年クロードが、アンヌとミリュエルの姉妹と出会い、互いに淡い恋心を抱く。数年後、クロードはパリを訪れたアンヌと再会、二人は結ばれるが、アンヌは病死してしまう。そしてその頃、同じくクロードに想いを寄せていたミリュエルは、別の男性と結婚していた……。
アントワーヌ・ドワネルから脱皮したレオ様(私的ジャン=ピエール・レオの呼称)が、イギリス人姉妹のアンヌとミュリエルから愛されるクロード役。
オープニングの超お間抜けブランコ悲劇や親ばか坊ちゃんっぷりは、そこから繰り広げられる生々しい描写によってどうでもよくなります。
原題は「Les Deux anglaises et le continent」(二人のイギリス人女性と大陸)。
「大陸」は、フランスからイギリスにやってきたクロードのあだ名。
アンリ・ピエール・ロシェの同名小説が原作。ロシェは『突然炎のごとく』の原作者でもあります。
この邦題は秀逸!!
しかしググるとPUFFYのYoutubeがTopになるのな。マサムネさんの歌詞は素敵だけど。
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手紙を読むときにカメラを見つめるアップの構図は後の『アデルの恋の物語』にも使われているけれど、今回は「ロウソク」に注目して鑑賞。
不評の原因は娘がロウソクを持って暗い階段を昇るシーンに象徴されるようなあまりにも感傷的な演出にあると判断したトリュフォーは、後に本作と『アデルの恋の物語』、『緑色の部屋』を自ら「ロウソクの3部作」と呼んで撮り直しを図っている。(Wikipediaより)
本作が不評とされること自体理解不可能なんですけど、まずあのシーンを「感傷的」だったと思うように観ることに。
8歳のときに覚えた快感、初体験時のシーツに染み込んだ血液、等々あまりにも生々しいシーンが多くて、「ロウソクの火」の記憶が殆どなかったもので。
フランス公開時にはベッドの血液のシーンすらカットになりましたが、当初トリュフォーはクロードの液体もそこに描きたかったそうです。実現はしませんでしたけど…
恋は盲目。恋は残酷。
邦題を études d’amour と仏語にするのであれば「恋のお勉強」ってことになりますが、痛み(心身共にね)や苦悩、激しい感情をストレートに描きながら、男女間の恋愛観の相違も隠喩しているように思いました(あ、あれ隠喩でもないっすかね、モロですかね)。
ミュリエルとの別れから15年と言う歳月が過ぎたエピローグ。
姉妹の母親もこの世を去り、ウェールズの思い出の家も他人のものになり、ミリュエルは他の男性と結婚し女の子をもうけた。ミュリエルはロダン美術館でミュリエルの子供を探す。
「男は名前をつけて保存、女は上書き保存」という例えが脳裏を過ぎります。
時が過ぎても尚風化していく過去に執着する男。過去と潔く決別する女。
「これが僕か?まるで老人のようだ。」と現在の自分の姿に気付き、静かに美術館のドアが閉じる。
美しき青春との別離にひどく胸打たれ、そしてまた私はまた「感傷的なロウソクの火」の印象が薄れていくのです。
Parce que je suis une femme!
私は「ごみ箱に移動しないで削除と同時にファイルを消す」派。(こわっ!)