『ルルドの泉で』Lourdes

『ルルドの泉で』N子から鑑賞券いただいたので二回目の鑑賞。

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大好きなシルヴィー・テステューが主人公クリスティーヌ役。
車椅子生活で、歩けない。手の指の自由が利かず、食事も援助なしではできない状態。
MI4で殺し屋を演じているレア・セイドゥがボランティアのマリア役で出演。
彼女がまあいわゆる今時の若者で、男子に夢中だったり、本当はスキーツアーに参加したいとか、真面目に介護しているようではないようで…

ルルドの泉の水は奇跡を起こすと言われているけれど、
その確率は僅か1パーセントにも及ばないもの。
今までに1億人(!!)以上もの人がこの地を訪れているけど、
その病を治癒した=奇跡 と認められているのはほんの70件弱程度なんだそうな。。。
それにも関わらず藁にも縋る思いでたくさんの人々がルルドを訪れます。

最近だと、フランス映画祭で上映された『6階のマリアたち』でもルルドの泉の水を持ち出すシーンが出て来て、スペインからフランスに移住して来た女中の一人が、フランス人と結婚するという(当時にしてみれば)奇跡というシーンがありました。(まあ結婚しても結局やることは女中と一緒、全然奇跡じゃないじゃん的なオチつき)

一生見ることができないかもしれない聖地の裏側を見れることも楽しみではありますが、はてさて。。。

ツアー同行者は、一瞬でも奇跡を起こした人に素直に賛辞を贈ることができず、単純に羨ましいとも思えず、妬ましさがどこかにある。
あなたも不幸よね、私も不幸よ
という傷の舐め合いのようであったり、自分よりも不幸な人がいることの優越感を覚えたり。

ミヒャエル・ハネケに師事したというジェシカ・ハウスナーが監督。
あー…だから?
人間の本性をまざまざと見せつけられているような恐怖がのしかかってくるの。
あのシルヴィが、レアちゃんが笑っていても、ヒリヒリする。

自分が障害を背負っているときは
「なぜ他の人でなく私なの?」
奇跡が自分におこったときは
「他の人ではなく私に奇跡を起こしてくれてありがとう」

クリスティーヌと同室の女性は、写真撮影の「CHEESE!」が言えない。(そもそも劇中で声を発してないかも…)
一番一生懸命だったセシルがいきなり倒れる。そして倒れた瞬間に帽子がとれ、彼女の髪が抜け切った頭が露になる。
何年もルルドに通い続け、ようやく言葉を取り戻した娘。だけどそれは奇跡ではなくほんの一瞬の出来事…
クリスティーヌに奇跡が起こると「あの子は信仰心がないのに」と口にするツアー同行者。

…人間の身勝手さを嘲笑しているの?
奇跡を信じようと神に祈りを捧げる人たちを、その行為を、
この監督はどの目線から見ている訳なのですか?

大 混 乱

どう捉えていいのかわからず、ラストシーン。

再び立てなくなったの“かもしれない”
という余韻を残すラスト。
だけど静かに微笑むクリスティーヌの表情には戸惑いなど感じられなかった。
彼女は例え再び車椅子生活に戻ったとしても、自分の境遇を受け入れ、現実と向き合って行けるの“かもしれない”。
後ろ向きだった彼女を新たな旅へと向かわせることこそが、「奇跡」なの“かもしれない”ですね。

と、あくまで“かもしれない”だらけの仮定ですが。。。
それでも様々な妄想が頭の中をぐるぐるするのです。ぐーるぐる、ヒリヒリ。ぐーるぐる…

答えはずっと奥の方。心のずっと奥の方なのよね。

ちなみに、ルルドの泉の成分は、ミネラルウォーター「ルション」と似ているそうです。

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カルシウム豊富ー。