『サラの鍵』 Elle s’appelait Sarah

フランスでは、食べ物だけでなく映画の誘惑もかなり強烈(観たい映画だらけ!!)だったけれど、
短い旅程にも関わらず、電車に乗って遠出する日を二日も取ってしまったので
結局3本しか鑑賞できなかった(涙)

『L’Homme qui voulait vivre sa vie』ロマン・デュリス&カトリーヌ・ドヌーヴ舞台挨拶つきのAvant Premièreもあったのだけれど、『Potiche』と日程かぶっていたし…

さて、一本目。
『サラの鍵』(Elle s’appelait Sarah)

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 あらすじ 
タチアナ・ド・ロネの同名ベストセラー小説の映画化で、人生を変えるほどの大きな決断に迫られるアメリカ人ジャーナリストの物語である。
ジュリアは、 1942年フランスのヴェルディヴで起きたユダヤ人迫害事件を取材するうちに、恐ろしい秘密と、今はジュリアが住んでいる家でかつて起こったユダヤ人家族の悲劇を知ってしまう。
そして、家族の長女・サラの視点で見ていくうちに、彼女の人生は引っくり返ってしまう。果たして、暗い過去を忘れることはできるのか?
TIFF公式サイトより)
TIFFでは観客賞を受賞。

以下、ネタバレあり。

1942年7月16日、ナチス占領下のパリ。
ユダヤ系フランス人迫害が、フランス人の手によって行われた。
一斉検挙によりヴェルディヴ(Vel’ d’Hiv)競技場への移住を余儀なくされたユダヤ人家族。
サラは、弟のミシェルだけは助けようと彼を押入れに入れ鍵をかけた。

一方の視点は、現代のパリ。
アメリカ人ジャーナリスト・ジュリアは、このユダヤ人迫害事件を取材することになった。
取材を進めていく段階で、彼女がこの事件に関わることを知ってしまう。

思春期を迎える年齢のサラにとっては、人前で用を足すことなど恥辱の極み。
だけども連行された先には、トイレがないどころではなかった。
人道的な扱いをされず、食料すら与えられない。収容所に連行された後は家族とも引き離される。
弟が待っている。私が助けに来るのをずっと待っている。
そう信じ、鍵を放さないサラ。

「真実を知ってどうなる?」と問いかけられても、サラの家族に疑いの目で見られようとも、執拗なまでに事件の真相を追究しようとするるジュリア。
真実を突き止めたところで、彼女を待っているのはなんなのか――

二つの異なる時代を生きる女性の視線から描かれた本作品。
視線が違えども、どちらも胸が詰まる程苦しかった。
サラの過去を描いているシーンはつら過ぎて切ない涙でしたが、
これからの時代を生きる自分の子供に、ジュリアが名づけた名前――
ラストは自然と涙が出てくる、美しいものだった。

クリスティン・スコット・トーマスの演技も素晴らしかったけど
サラ役のメリュシーヌ・マイヤンスの表情一つ一つの演技に感動。

フランスでも、1995年にシラク大統領が謝罪したことで、この事実を初めて知った人が多いということ。
目を背けてはいけない、多くの命を奪った惨劇。その一家族の出来事。

監督自身の祖父も、この事件で命を奪われたのだとか。
TIFF公式サイトのジル・パケ=ブレネール監督インタビューは⇒こちら

作品についても、事件についても理解を深めたかったので、日本語版を旅行後に購入。
映画の方が先だったので、文字と共に映像がシンクロして、読み進めるのがつらかった。いつにも増して遅読でした。
111分という上映時間では短すぎたのか、やはり端折られていた描写もあったけれど、原作にほぼ忠実に作られていました。
原作ではサラの弟が自ら押入れに隠れる設定になっているけれども、映画ではサラが弟を「閉じ込めてしまった」設定を変えたのが大きく違うところ。
このことが、より自責の念を一生背負うという定めを強く描けているのだと思います。

サラの鍵 (新潮クレスト・ブックス)

日本でも是非公開して欲しいです。