イヴ・サンローラン Yves Saint Laurent – Pierre Bergé, l’amour fou

ココ・シャネルの伝記映画が一年に3本も公開されたり、トム・フォードが監督を務めたり。
で、今度はイヴ・サンローランの映画。
誰がサンローランを演じるでもない、ドキュメンタリー。

映画『イヴ・サンローラン』公開初日に観てきました。

イヴ・サンローラン

2002年に引退し、2008年に亡くなった世界を代表するデザイナー、イヴ・サン=ローラン。ファッション界での確かな実績、カトリーヌ・ドヌーヴなど有名人との華麗な交流の陰には、50年も共に暮らしてきたパートナーしか知り得ない一面があった。そんなサンローランのキャリアと素顔を、貴重な映像や写真と共にひも解いていく。

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パリ・ノルマンディ・マラケシュ。
サンローランがコレクションしてきた豪奢なアートの数々。
監督は写真家で美術造形家のピエール・トレトン。
誰もいない美術館を、歴史の重みを全身で感じながら歩くような
はたまたこの作品自体が美術館に展示されたものであるかのような
実に優雅なフィルムでした。

本作はほぼ“公私ともに”数十年に渡る唯一無二のパートナーであったピエール・ベルジェの語りで綴られる。
ベルジェこそがサンローランの才能を開花させた人物。
彼なしでサンローランの歴史は語れない。

サンローランが21歳(!)でディオールの後継デザイナーに抜擢された翌年、ベルジェと出会う。
“coup de foudre”はフランス語で“落雷・稲妻”という意味と“一目ぼれ”という意味を持つけど、
出会った瞬間からベルジェは稲妻のようにサンローランと恋に落ちた。ビビビ、と。
’60年に徴兵され(これが母国のアルジェリア戦争だったりするのも切ない)神経衰弱になり精神病院へ。
ベルジェの援助と説得により’61年に自らのメゾンを創立。
しかし輝かしい栄光の陰には、苦悩が。
あまりにも繊細なサンローランは大きなストレスを抱え、酒やドラッグに逃げ、破壊していく。

様々なゲイ・コミュニティーにコネクションを持つと言われるベルジェ。
ゲイ雑誌「Têtu」の主宰。
(一生手にすることがないだろうと思っていたけど
昨年ドヌーヴ様の表紙に惹かれてまさかの二冊買い)

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本作ではストレートにゲイ色は出ていませんが
壮絶な愛情がずしんと響いてきましたよ。
サンローランの貴重なインタビュー映像で
「幸せとは?」の問いに「満ち足りた大きなベッド」と笑いながら答える姿によからぬ妄想をしてしまいましたが。
後にその“満ち足りた”と言う形容詞の中に想像を絶する苦悩を感じることが出来なかった自分を悔やむね。

初めて買ったパルファムがBaby dollだったり、初めてmon mariへ買ったお財布がサンローランのものだったりと
個人的にも淡い恋の思い出が詰まっているブランド。
反ビジネス至上主義的な考え方がアンチ高級ブランドの私をくすぶるのか
と、かっこつけて言ってみたいところだけどー・・・
やはり私の中でサンローランといえば、カトリーヌ・ドヌーヴ様の映画衣装。

『昼顔』は美の極み。頂点。

昼顔 Belle de jour

本作にも歌うドヌーヴ様が登場してきますが、ドヌーヴ様の歴史にサンローランありき。
「私はいつもドヌーヴをイメージしてデザインしている」とデザインを手掛けていた時期もありました。
サンローランはウォーホルやストーンズなどとも親交があり、一見社交性高そうなのですが繊細ゆえ大の人見知り。
ジジ・ジャンメール(ローラン・プティの奥様)とドヌーヴ様だけが、唯一二人きりで会うことを許された人物だったとか。

サンローランは2002年の現役引退後からマラケシュで余生を過ごすのですが
2008年にこの世を去るまで、ベルジュ以外の誰とも会わなかったそうで。
フランス国で神的存在となったサンローランの最期を知るベルジュが語る歴史は、まさに映画のサブタイトル“l’amour fou 狂おしい愛”に匹敵するほどあまりに切なく、感動的だった。

イヴ・サンローランへの手紙

ソフトカバー版 おてんばルル

ヴェルサーチは恋人だったゲイ売春夫に射殺されたことは有名だけど、アルマーニやゴルチエもゲイ。
ゲイの方々の美的センス、ハンパないっす。マジ尊敬っす。
マレ地区のゲイバーとか。ああ懐かしい。
日本じゃミッツ、マツコ、おすぴーとかバラエティ系が目立つけどね。
どんだけ~!
(結局こんなオチ)